昨日学生時代の親友と数年ぶりに電話で話した。
ふとおもいだすのは、アンジュールという絵本をくれたO
いまどうしている?
わたしより連絡をとっていただろう電話の友にきくがもうかれこれ5年以上は音信不通だとか。いま新宿にいるとかいないとか。最後にきいたのはバーテンダーをしつつ人の悩みをきいていたとか。
私は20年は会っていない。
の、「20年」がこの年になると多い。
なんだか異性なのに話しやすいと思ったら彼は途中からなんとなく異性ではなかったのかもしれない、と思った。
アンジュール
小説をかいていた彼がくれた字のない絵本
http://www.ehonnavi.net/sp/sp_ehon00.asp?no=2186&spf=1
なんでくれたんだったろう。このころはよく本をあげたりもらったりした。
(尊敬してた児童文学の今江祥智も推薦してたような気がする。)
本をたくさん読むことは学びにはなるけれど字を読むことだけが文をつくることにはけっしてつながらないというのを文を書く彼に教えてもらった。
暗黒の(苦笑)高校時代までと違って、大学生になるとずっと同じ教室にいる必要がない、というのが私にはほんとうに気が楽だった。教室という空間は私にとっては逃げ場がなくつらかった。
陳腐な言い方だけど、学校の外にフィールドがあり、対話する人がいればその場は学校だし、究極そんな人居なくても居てもいいと思わせるのが行っていた学校だった。
親友のHとはたいした話はしないんだけど、はじめて話さなくても一緒に居られる人だった。逆にそんなんで安心してたくさん話したような気もするが。しばらくしたらやっぱり話す必要がなくてただただぼーっといたことも多かった。
こないだ行った古本市で、岡崎京子の本をたくさんみたからか、
Oも、電話のHも岡崎京子がすきだった。私にはちょっとハードすぎて読みそびれているけれど。
岡崎京子、オザケンのライブにきてはったみたいですよ、と古本市の店主は言っていた。
それ私も知ってる。そんな世代だ。
私は大島弓子の雑草物語を買った。
大島弓子がすきなんだったら岡崎京子が物語の中で沢山パロディしてますよ、店主。そんなことをいまごろ知る。